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帰還1

明けましておめでとうございます。

2021年、より一層心を尽くして、ご縁を繋いで参ります。

 

風の時代に入った2021年。
日記を綴らない私の「スピリチュアルな記録」として
書かせていただきます。

今回のブログは、とても私的なお話しになりますので、
ご興味のない方はスルーなさってくださいね。

 

 

「きみは自由だ。王国へ還れ!」

 

 アイスブルーの瞳の彼はそう言いながら、刻印するように、人さし指を私の第3の眼に触れた。

 その瞬間、激しい風圧を受け、私は息ができない苦しさに身を縮めた。
引きつるように激しく喘ぎ、目を開けると、そこはどこまでも深く蒼い宇宙の海だった。

 

 惑星がひとつ。

 

 地球だ。

 

 宇宙の海に浮かぶ地球はひたすらく、温かな優しさにあふれながらも決然とした光を放っていた。

 

 慕わしさで胸が熱くなり、私は地球へと両手をのばした。

 

 それは平成8年、阪神淡路大震災の1年後、鎮魂の祈りが捧げられる神戸での出来事だった。その日から私は「自由」になるどころか、おそろしく「不自由」になった。当時の私は雑誌のライターとして何本ものレギュラーをかかえ、芸能人から指名でインタビューの依頼いただくこともあり、めまぐるしく仕事に追われていた。

 

 原稿を書くのが早かったので、校了直前の日程で人気タレントの取材がとれると「あいつに任せれば間に合う」と頼みにされた。「瀬戸際の魔術師」と面白半分で呼ぶ編集者もいて「そんなおだてに乗るつもりはない」と思いつつも悪い気はしなかった。

 

 そんな日常が変わらずに続いていくものだと思っていた。

「きみは自由だ。王国へ還れ!」と告げらるあの日までは・・・。

 

私は、突然、原稿が書けなくなった。

 

 まるで、慣れ親しんでいた図書館から突然登録を抹消され、望む本を借りることが出来なくなったような驚き。理不尽な扱いを受けているという憤りでいっぱいだった。

 

図書館の扉は、どう手段を講じても開くことがなかった。

 

 いつもの何十倍ものエネルギーで文字を書き連ねるが、言葉は意味をなさない記号と化して行く。
それでも締め切りは容赦なく迫って来る。

 

 ワープロ(当時はまだPCではなかった)のキーボードの前で恐怖にも似た焦燥感で息を詰める日々が始まった。あと数時間で入校しなければいけないのに原稿が真っ白、という夢は何度か見たことがあったが、これは紛れも無い現実だった。

 

書くという仕事は諦めざるをえなかった。

 

あたりまえに出来ていたことが出来なくなり、私は存在意義を失った。

 

 さらに、原稿を書けないというだけでなく、以前よりも目が見えにくくなり常に眉間のあたりに手をかざされているような視界の翳りが、不安な気持ちに拍車をかけた。思考もゆっくりで起動が遅いパソコンのよう。しゃべるのももどかしかった。そんな状態でありながら私の身体は西洋医学的には何の問題もなかった。

 

 解決策が見いだせない不安から逃れるため昼間から飲めないお酒を飲んで、死んだように眠ることを選んだ。
見兼ねた友人たちは、さまざまなアドバイスをくれたが、残念ながら何の役にも立たなかった。スピリチュアルに造詣の深い友人は、ヒーラーやチャネラーを紹介してくれたし、心理療法を勧める友人はインナーチャイルドワークや催眠療法のセラピストに繋いでくれた。私は誘われるままにヒーラーに会い、ヒプノセラピーの退行催眠で過去世を観た。

 

私のインナーチャイルドは薄着のまま裸足で寂しそうに誰かを待っているようだった。

 

 退行催眠で観た私の過去世は、古代ケルトの民、イケニ族の女王ブーディカだった。膝まである長い赤毛のブーディカは民族の尊厳のためローマ軍に反旗をひる返し勇猛に闘い、最後は闘いに破れ、毒をあおって死を遂げた。調べたら実在の人物で、ロンドンには銅像もあった。けれど、私の過去世が解ったからといって、以前のように原稿が書けるわけではなかった。

 

言葉を追う疾走感や創造の宝箱を開ける歓びが恋しかった。

けれど、どんなに恋しくてもとりもどすことは叶わなかった。

 

 私は失った恋人を葬るように、過去の署名原稿が載った雑誌を処分しはじめた。実家にも娘の名前が載っているからと母が買い込んだ雑誌が山と積まれていた。それもすべて破棄するため郷里に帰った。

 

 実家の部屋で埃まみれの雑誌を仕分けしていると、何故こんなところに挟まっていたのか、
父の古い手帳が出てきた。

 

帰還2へ続く